曙ブレーキ工業は、埼玉県羽生市で自動車や鉄道のブレーキなどを製造してきた企業で、ブレーキ製造の分野では世界的な大企業の一つです。曙ブレーキは1929(昭和4)年創立当初の「曙石綿工業」という社名のとおり、石綿(アスベスト)を取り扱い、2000(平成12)年まで石綿を使用していましたが、近年まで従業員らに対してマスクの着用を義務づけるなどの措置を怠っていたため、多くのアスベスト被害を及ぼしました。

しかし、曙ブレーキは、世界的な企業に至るまで支えていた従業員らのアスベスト被害について適切な補償をしていません。

そのため、曙ブレーキの法的責任を明らかにし、誠意ある謝罪と被害に見合った賠償の実現を求めて、元従業員とそのご遺族ら14名(裁判を起こした時点で4名が亡くなっていました)が、2012(平成24)年11月28日、さいたま地方裁判所に裁判を提起しました。

2015(平成27)年12月25日

和解解決に至りました。

弁護団声明

曙ブレーキ工業・アスベスト被害賠償訴訟の和解解決に際しての声明

  1. 裁判所法廷において和解解決に至る
    曙ブレーキ工業・アスベスト被害賠償訴訟は、本日、さいたま地方裁判所105号法廷において、針塚遵裁判長が、和解条項を読み上げ、原被告双方がこれを受け入れ、和解解決を迎えるに至った。
    和解条項は、「被告曙ブレーキ工業は、原告ら(元労働者及びその遺族)に対して、①じん肺法に基づく(石綿肺の)管理区分決定ないし(肺がん等の)石綿関連疾患による労災認定等がなされたことについて遺憾の意を表明し、あわせて②(原告らの被った損害に基づく賠償請求に対して相当の)解決金を支払う」との内容である。
  2. 曙ブレーキ工業・アスベスト被害賠償訴訟の概要と経過
    本件訴訟は、2012年11月28日に、曙ブレーキ工業で働いていた元労働者及びその遺族が原告となり(合計14名。被災労働者単位では12名)提訴されたものである。
    本件訴訟において、原告らは、曙ブレーキ工業が、発がん性のあるアスベスト(石綿)を使用してブレーキ製品を製造する過程において労働者の健康を守るために必要な石綿ばく露防止措置(局所排気装置の設置や防じんマスクの着用など)を怠り、その結果として元労働者が石綿肺及び肺がん等の重篤な疾患に罹患し、またはその結果として死亡するに至った被害に対する責任を追及した。これに対して、曙ブレーキ工業は、適切な安全確保措置を講じていたとしてその責任を争い、また、元労働者が石綿関連疾患に罹患したとの事実についても争うという姿勢を示した。
    原告らは、元労働者の証言により、曙ブレーキ工業におけるブレーキ製品の製造工程の各作業場面において大量のアスベスト粉じんが発生し労働者がこれに曝露していた実態、及び労働者を粉じんから防護するための措置が講じられていなかった実態を立証した。あわせて、石綿関連疾患によって健康を害され、またその結果として肺がん・石綿肺によって命を奪われた被害の深刻さを、各原告の証言によって立証した。
    曙ブレーキ工業は、元労働者の石綿関連疾患の罹患を否定する立証として岸本卓巳医師(岡山労災病院)を証人として申請し、これに対して原告側は、宮岡啓介医師(埼玉協同病院)の証言で反証をおこない、両証人の証言が本年8月に終了し、全ての証拠調べが終わり、本年12月4日には結審し早期の判決が予定される状況に至った。
    こうした中、裁判所から、原告・被告双方に対して和解についての打診があり、この間、裁判所の強い関与の下で和解協議が進められ、本日の和解解決に至ったものである。
  3. 和解成立の内容
    和解内容は、①曙ブレーキ工業による遺憾の意の表明と、②相当額の解決金の支払いである。
    原告らは、本件訴訟の当初から、アスベストによる生命・健康被害は金銭で償えるものではないととらえており、曙ブレーキ工業の真摯な謝罪を求めてきたが、遺憾の意の表明はこれに対応するものである。
    解決金の支払いについては、曙ブレーキ工業の要望により、その金額は非公開とされている。
    和解協議の過程においては、泉南アスベスト最高裁判決が示したアスベストによる生命・健康被害に対する慰謝料額が参考にされたが、原告らとしては、解決金の水準は、曙ブレーキ工業の石綿ばく露防止措置懈怠の責任を踏まえ、かつ原告等の石綿関連疾患の罹患の事実をも踏まえた相当額となっており、実質的に被告の責任を認めたものと評価している。
  4. 訴訟に至る経過とアスベスト被害に対する他の運動との連携
    曙ブレーキ工業は、埼玉県羽生市において戦前から石綿製品を製造してきた代表的な石綿企業の一つである。自動車生産の伸長と軌を一にして発展し、いまや、自動車ブレーキに関しては世界的なシェアを誇る企業に発展してきた。
    しかし、その発展の過程においては、本件原告らにみられるように多数のアスベスト被害を発生させてきた。
    1976年には、井上浩行田労働基準監督署長が主導し、曙ブレーキ工業の羽生製造所に対する労働衛生監督がなされたが、被害の解明と責任の追及に至ることはなかった。
    2005年のクボタショックを契機として元労働者及びその遺族が、被害の解明と曙ブレーキ工業の責任を追及することを目的として「被害者の会」を結成し、埼玉民医連と自由法曹団埼玉支部がこれを支援して、健康問題や法律問題についての相談会を複数回実施してきた。
    そうした地道な運動の延長として、2012年に本件集団訴訟の提起に至ったものである。訴訟の進行過程においては、同じく埼玉県内の建設労働者が、建材に含まれるアスベストによって受けた被害の救済を求めて提起した建設アスベスト訴訟(東京地裁及び東京高裁に係属中)にも励まされてきた。
    また、本件訴訟の進行中の2014年10月には、泉南アスベスト国家賠償請求訴訟の最高裁判決において、アスベスト工場の石綿被害についての国の責任が明らかにされ、これが本件訴訟に対しても大いなる追い風となった。
    原告団及び弁護団としては、これらのアスベスト被害の回復を求める運動や訴訟と連携し、本日の和解解決に至ったものと評価しているところである。
  5. 全てのアスベスト被害の救済に向けての今後の課題
    泉南アスベストの最高裁判決を踏まえ、本年7月には、曙ブレーキ工業及び県内の石綿企業で働いて石綿関連疾患に罹患した被害者について、国家賠償請求訴訟の集団訴訟が提起され、9月には第2陣も提起されるに至っている。
    原告団及び弁護団としては、アスベストによる健康被害が大きな社会問題となっている中、本件訴訟の和解解決は、多くのアスベスト被害のごく一部についての和解に留まると考えており、今後とも、曙ブレーキ工業における被害の救済に留まらず、国家賠償請求訴訟をも含めて、全てのアスベスト被害の救済の実現に引き続き尽力する決意を固めているところである。

以上、声明する。

2015年12月25日

曙ブレーキ・アスベスト被害賠償訴訟原告団

団長 五月女 行雄

団長 弁護士 南雲 芳夫